宝箱

すきの定義は「心を動かされる」こと

アイドル畑で戦い続ける作家とファン〜Twitter文学賞と加藤シゲアキ〜

こんにちは。

最近気がついたんだけど、付き合いが深い人には「B型だっけ?」と言われる傾向にあります。

 

 

本を初めて読んだのはいつだろう。

幼稚園の頃の絵本が家にはたくさんあるんだけど、「ゆめみてころころじゃがいもむすめ」という本のことは特別よく覚えてる。
小学校に入ると図書館によく通った。学校の図書館、市の図書館。本に囲まれたその場所がだいすきでした。外でみんなと遊ぶのがたのしい反面、ひとりで読書をするのも知らないところへ旅をしているようでたのしかった。それは中学生、高校生、大学生、そして社会人になっても変わらない。すきが転じて図書館の司書資格も取得してしまったほど。

今でも本を読むことは生活の一部で、本屋にいくたびに新刊に手を伸ばしてしまう(そして月末に食費を削る羽目になる)。ドル誌とともに小説を抱えてレジに向かう人がいたら、わたしかもしれません!

 


わたしは今朝読みました、クラウド

昨日は早くから寝てしまっていたので、TLの異変に気が付いたのも朝です。たくさんの方が「Twitter文学賞」や「クラウド」、そして「加藤シゲアキ」についての思いを連ねていた。「あれ?もしかして何か言及したのかな…」そう思いながらジャニーズwebを開くのが少し怖かった。だって今回の件を知って、シゲが傷つかないわけないから。そしてもしかしたらファンがドキッとするようなことを言っている気がして。

 

彼の綴った文章を読みながら、自分でもなぜかわからないけど泣いてた。泣くなんて思ってなかったんだけど!!!

 

「アイドルだから」起きた出来事

今回の件についていろいろな意見があることはTwitterだけでもよくわかりました。だけど「この人の意見は間違ってる」 なんてことは1つもなかった。こういう正解のない問題に関して、意思のある声は全部間違ってないと思っているので、わたしの声も一個人の考えとして見ていただければ幸いです。

 

ことの発端はTwitter文学賞の主催者さんが「Twitter文学賞に対する組織票は控えてください」というような内容をツイートしたこと。どうやらシゲの作品に対して組織票なるものが見受けられたらしい。元々Twitter文学賞も知らなかったし、投票もしていなかったので完全に外側から眺めていました(少し思ったことはつぶやいたりしてましたが!)。それから数日、クラウドでシゲがその件に関して言及したわけです。

 

詳細な内容をここに書くことはできないけど、ファンが気にしている以上にシゲ本人が1番敏感になってしまう「アイドルだから」という部分に触れる出来事だった気がします。


この手の話題で1番心を痛めてるのは彼のはずなんだけど、Twitter文学賞のため、ファンのため、そして何より自分のため、自分の作品のためにすぐに言及できるシゲは強いなぁ。そう思うと同時に彼の口から「僕に対する票は全て無効にしてほしい」「不快な思いをさせたくない」だなんて言わせてしまったことが悲しくてしょうがなかった。そして悔しくて、悔しくてたまらない。

 

だって彼は「ピンクとグレー」を書き始めたときから理解してたはずだから。「叩かれると思っていた」というニュアンスのことは作家デビュー時のインタビューでも言っていて。”ジャニーズ”という色眼鏡で見られる覚悟を持って、こういった物議を醸すことも予測して、何度も何度も「アイドルの書いた小説が世間からどう見られるか」という意識と戦いながら、これまで書き続けてきたはずです。だから正直今回のクラウドからは若干の苛立ちのような、ままならない歯がゆさを感じてしまった。「最初からわかってるよ。だからわかってよ」って(あくまで個人の印象です)。

 

こういった「アイドルだから」にまつわる出来事が起こるたび、今回クラウドで言及したように、ファンにも文学にも真摯に向き合っていくんだろうね。そういうシゲがすきです。文学の領域では作家としてだけ、作品の面白さだけで輝けるように、ファンとしても間違えてはいけないなと思いました。

 

作品を正当に評価しないのは本好きだけじゃない

以前タイプライターズで、1作目が発売される日に「叩かれる朝が来た」と思ったという話をしていた。アイドルの書いた小説が叩かれる(=受け入れられない)と考えていたのは、シゲ自身が本を読む人だから。いわばTwitter文学賞に純粋な気持ちで投票する側です。一方で彼は、全国に”加藤シゲアキ”という本人のファンがいる作家。作品以前に本人が受け入れられている世界なので、一般に受け入れられない可能性があるとはいえ、作品が手放しに喜んでくれるファンが存在する。

だからアイドルとして作家をする苦悩としては、

「アイドルの書いた本だから」と一般の方に敬遠されること、正当に評価されないこと

だと思っていたんです。だけど今回の件を通してそれだけじゃないって気が付いた。正当に評価してくれないのは一般の方だけじゃなくて、ファンもだった。もう1つの苦悩は、

「すきなアイドルの書いた本だから」とファンに持ち上げられること、ある意味正当に評価されないこと

なんじゃないかと思いました。クラウドを読んでなんとなくそう感じました。応援してもらえてうれしい反面、複雑な気持ちも抱えているのかもしれない。ここでまた、そういう感情と対峙し続けているシゲが強いなぁと思う。

 

でもアイドルのファンをやっているとそうなるのは当たり前というか。そりゃあ自分のすきな人の創作物が愛しくないわけないじゃん!!!フィルターがかかって当然だよ!!!とも思います!!!

 

 結論なにが問題だったのか

「じゃあなに、シゲがすきだからシゲの本もすきなのがダメなわけ?」みたいな話になってきます。「ピンクとグレー」から「チュベローズで待ってる」まで、大半の読者は「シゲがすきだから」というきっかけで手に取っていると思うので、問題はそこじゃない。それはシゲも含め、みんなわかってると思います。

なにが今回言われているのかって、

”「シゲの書いた作品だから」投票しよう”みたいな動き

のことですよね。

 

ジャニーズに限らず、ファンというものの連帯感はすごいけど、時々怖くなるときがあります。すきな対象を手放しに褒めること、「みんな買おうね」「みんな聴こうね」「こうだよね、ああだよね」みたいな。自分もいろいろなもののファンであるがゆえ、わかってしまう気持ちです。ただ1人が思っていることを100人が共感しているのを見ると怖くなってしまう。わたしは”みんな一緒”っていう概念がきらいで、「みんな一緒なわけないでしょ!ちょっと違うって思うこともあるでしょ!」と思う人なので。幸いなことにNEWSファンの中には辛い意見を言う人もいるので、そういう人の声を見てハッとさせられることがよくあります。

 

今回はそういうファンとしての悪い部分が文学というフィールドに踏み込んでしまったゆえ、Twitter文学賞の主催者さんやシゲが言及するにまで至ったんじゃないでしょうか。どのジャンルにも言えることだけど、すきな領域が自分と自分を取り巻く環境によって乱されていく様子に我慢がならなかったからなのかなと思います。

 

あ~、ここまで書いてやっと自分の感情が整理されてきました~。あと最後に1つ言うとすれば、音楽や文学といった芸術の賞は、政治家の選挙とはわけが違う。票の多さにはほぼ価値がないんです。選挙は票の多さで当落、勝ち負けが決まるので選挙活動をしなくちゃいけない。だけどこういう感情に左右される票は、票の数より1票の重さの方が大切な気がします。勝ち負けが決まるレースにおいてはきれいごとだけど、本の良さに勝ち負けを争うレースはありません。どんな賞を取っても文学界で勝ったことにはならないのです。たくさんに人に読んでもらえるのは間違いないので選ばれることは作家にとってうれしいことではあると思うんだけどね、それは純粋に「面白いから」評価された結果でないと意味はない。なのでわたしは「投票しよう」と先導する人の気持ちがわかりませんでした。

 

いろいろ書いてきましたが、基本的に誰も悪くないし、「作品が面白いから」という理由で票をいれたシゲファンには堂々としていてほしい!きっかけがシゲであっても、本を読んでドキドキした気持ちは嘘じゃないはず。それを否定する権利は誰にもありません!!!票を取り下げるどうのこうのってところはTwitter文学賞の主催者さんも望むところではないように見受けられます。

 

クラウドを読んでいろいろ感じるところがあって、センチメンタルな気持ちのままこうしてブログに書き殴ってるけど、ただただ個人の思いなので正解も不正解もない。憶測でしかない。ただこれから先、シゲが「評価されること」を素直に受け入れられるような環境になっていけばいいなぁと強く思います。言いにくいことだったと思うけど、ちゃんとことばにしてくれてありがとう!優しくて、誠実で、強い人だなぁとまた思わされました。

 

ファンとしても本好きとしても、まっすぐに彼の作品を愛していきたい!