宝箱

すきの定義は「心を動かされる」こと

あの日わたしはなにを観たのか~舞台『リューン~風の魔法と滅びの剣~』~

来る6月1日、わたしが初めて丈橋を拝む日であり、その舞台を観に行く日でもあった。


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あの日は自分でも異常だと感じるほど、緊張と高揚でずっと心臓が痛かった。舞台の最中もずっと呼吸が浅くて、しんどくて、カーテンコールで大橋くんが画面の中で見てた通りに明るい声でしゃべり始めたのを見て、なぜだか涙が止まらなかった。あの瞬間をわたしはきっとずっと忘れない。

奇跡的に舞台が始まる前に丈橋に出会って、奇跡的に観る機会に恵まれて、わたしがこの舞台に立ち会えたのは本当に奇跡みたいなことだったなぁなんて今思う。

奇跡が起きてくれてよかった。初演から観てきた方々がなぜリューンに熱狂するのか、それはすきな人が出演していること、シンメがW主演であるということだけではなく(もちろんまずこの事実がすごい! シンメで舞台って! オタクの夢か!)、この舞台自体リューンの世界に引きずり込むような深く、衝撃的で余韻をいつまでも残すような内容だったことが理由だった。

 

目次

 

概要

幼なじみのリューン・フローとリューン・ダイ。

ふたりともに15歳。

リューン・フローは一角狼座の芸人、リューン・ダイは戦士の修行中。

ふたりはまるで兄弟のように仲が良い。

10年前のあの戦争で両親を失った。

ある日、ふたりは伝説の「滅びの剣」を見つけてしまう。

それによってリューン・フローとリューン・ダイの運命の歯車が狂い出す。

「滅びの剣」を手に入れようと軍勢を率いて現れた大国の長・ダナトリアは、村を焼き払おうとする。

リューン・ダイはその剣を手にし、敵も味方も関係なく皆殺しにして消えてしまう。

失意のリューン・フローは、友であるリューン・ダイを殺すための旅に出る・・・

 「リューン〜風の魔法と滅びの剣〜」公式HP「Story」より

 

「滅びの剣」は手にした人の意思とは無関係に目の前の人を殺戮してしまう、ずっと封印されてきた魔剣です。1000年前、ガンドラ国という国の王の元に、盲目の少女が「目を見えるようにしてほしい」とお願いをしに来ました。彼女の目を治したのは王ではなく、風の魔法使い。国民が風の魔法使いをたたえる様子を見て嫉妬心を燃やした王は、剣で彼女を刺してしまう。その瞬間「憎悪」が込められた「滅びの剣」は生まれ、代償としてガンドラ王は死ぬことができない体になります。このガンドラ王が、今もルトフの里に生きるダイス先生だということは1人(フローリア)を除いて知りません。

戦争の記憶が蘇ると耳をふさいでおびえてしまうフローと、「あのとき俺にもっと力があったら」と復讐心を秘めつつ武術の腕を磨くダイ。ひょんなことから「滅びの剣」がダイの手に渡ってしまい、両親を失った戦争の首謀者である敵国だけでなく自分の里の仲間も殺めてしまう。その後「滅びの剣」に宿る黒い獣に心まで支配され、オビオテ族をはじめる人々の殺戮は続く。

フローとダイは約束をしていました。

「もしも俺が道を誤った時は、お前が俺を救ってくれる。そうだろ?」

「うん……約束する。この身を呈してでも―――」

「身を呈してでも」そのことば通り、戦うすべを知らないフローが自分の身を顧みずに「僕がリューン・ダイを殺す」とダイを探しに里を出る。様々は思惑や裏切りに翻弄され、ダイと対峙する場面でフローの左腕は義手、耳も声も失っています。「滅びの剣」を鎮静化させられるフローの歌も封じられ、2人は剣を交わすことになる。

 

主題

リューンとは、一体何を語る物語なのか?どこにフォーカスするのかによってこの物語の主題の見え方は変わると思う。個人的には、

 

なくならない争いとなくしてはならない人間の心

 

の話ではないかなぁと。

なくならない争い

この物語には随所に争いが出てきます。

・(1000年前)ガンドラ王が嫉妬心から風の魔法使いを殺害

・(10年前)新月戦争(カダ国によるリューン一族襲撃)

・ダイによるルトフの里・オビオテ族襲撃

・ダイvsファンルン・ダナトリア・ダイス先生・フロー

争いは争いを生む。そもそもガンドラ王が滅びの剣を生まなければ、新月戦争が起こらなければ。個人的にはルトフの里の生き残りがダイに復讐心を持つ可能性なんて十分にあると思うし、もしオビオテ族のあの子が生き残っていたら絶対に武力を手にしてダイに復讐しにくると思う。戦争ひいては死という概念から離れた平和な日本に生きているわたしには想像がつかないくらい、きっとそういう争いの連鎖はこの世に存在している。

なくしてはならない人間の心

争いを起こすのは人の心だけど、争いを静めるのもまた人の心なんじゃないかなぁ。ガンドラ王1人の感情が世界の均衡を乱す滅びの剣を生み、その滅びの剣に憑かれたダイが殺戮を繰り返す。その終焉は、「ダイを救う」とまっすぐに思い続けたフローとの対峙。結果的に滅びの剣をこの世から消滅させたのはダイス先生だったわけだけど、自分の身を呈してまでダイを探し続けたフローの優しくて強い意志がなければああいう結末にまで至らなかったと思う。

人間の感情が争いを生み、争いを収束させる。ファンタジー作品にも関わらずあまりに現実的で地に足がついているのは、脚本家である篠原久美子さんが中東・シリアに行かれた際の経験が元になっているからだと想像してます。『ゲド戦記』のエッセンスもあるとのこと。

 

「風の魔法」と「滅びの剣」にまつわる鮮やかな対比

サブタイトルにもなっている「風の魔法」と「滅びの剣」。この2つと関連して対になるものがこの物語にはいくつか出てきます。それが気になる。

 

風の魔法」「滅びの剣」 

魔法を信じているフロー」「魔法を信じていないダイ

」「武力

祈り」「恨み

 

歌うことで滅びの剣を鎮めることができるフローは、風の魔法使いであるリューンの血を引いている。フローは魔法を信じていて、自分の歌を祈りだと言う。

一方同じリューンの血を引くにもかかわらず滅びの剣に憑かれるダイ。ダイは魔法を信じていなくて、武力こそが大切なものを守る術だと思っているし、大切なものを奪った敵のことを恨んでいる。

「風の魔法」サイドと「滅びの剣」サイド、各々に共通して言えることが1つあると思っていて。

 

救うもの

盲目の少女を救う風の魔法

ダイを救う魔法を信じているフロー

滅びの剣から人を救う」「祈り

救われるもの

風の魔法に救われる滅びの剣

フローに救われる魔法を信じていないダイ

人の思う心に救われる武力」「恨み

 

「救うもの」と「救われるもの」の対比になっているんじゃないかと。「僕の歌は祈りだ」歌うことで平和を願い「救うもの」のフローと「あの時俺にもっと力があったら」武力で制することで平和を守りたい「救われるもの」ダイ。新月戦争で同じ境遇に陥った2人だけど、平和へのアプローチが違う。「過去のトラウマから争いを好まず、平和を願う」フローが救い、「力があれば大切な人たちを守れたという過去から争いを生んでしまう」ダイが救われた、これはわりとキーだと思う。なくならない争いに対して、なくしてはいけないものはなんなのか。2つのキーワードから見るとそれが浮き彫りになる。

そしてあとひとつここに加えたいのが、「フローリア」「ダイス」。この2人は、

 

フローとダイを救うもの

フローとダイに救われるもの

 

フローリアは2人をルトフの里へ連れてきた。滅びの剣がなくなることで命を終えることができた。フローとフローリア、ダイとダイス、このネーミングは偶然じゃないと思う。

 

藤原丈一郎とリューン・フロー

丈くんのまっすぐさがフローにぴったりだと思った。自己犠牲を厭わずダイを探す姿に終始胸が痛かったなぁ……。所作から伝わる臆病さと、目が訴える意志の強さがとても印象的でした。顔立ちがはっきりしていることもあり舞台上でも表情がわかりやすかった。化粧映えもしていて、初めて丈くんを見た感想は「美しい」。

(予習してたなにわ感の人と全然違うやないかと思ったのは内緒)

後半の苦しそうな演技、息遣いがとっても上手くてさ……。どんどん胸が苦しくなった。 痛めつけられるフローの苦しむ様子はとてもリアルで、見てるのがつらかったほど。舞台の上から感情が伝わってくるっていうのは、見てるこっちが思っている以上に相当なエネルギーを使っていると思う。

★印象的なシーン

・舟に乗り旅に出る場面(♪風の舟)

ダイを探すためにエルカとファンルンと共に舟に乗るフロー、なにかを決心したような顔が清くて美しい。もう1回あの顔が見たい。周りで歌う(遠くにいるであろう)ダイの声に反応するフローに泣ける。

・「僕は代償とか復讐とか正義とか報復とかそういうのはよく分からない。ただリューン・ダイを助けてあげたいんだ。」

ダイを殺すために必要なドルデンの魔剣を手に入れようとたたらの島に行き、先に魔剣を手にしていたダナトリアに放つ一言。ここのセリフの言い方が凛としていて、きれい。ほんとにフローって、「大切な人を助けたい」って思いだけで動いてるんですよ。まっすぐできれいなこの心こそ、ダナトリアを揺さぶったんじゃないか思ってる。

・たたらの島で試し斬りをされる場面 

魔剣を譲り受ける代わりに左腕を試し斬りされる場面。斬られるそのときの叫び声が、負の匂いが会場いっぱいに広がって、わたしは一瞬絶望した。 義手が備わるとわかっていても、もうその左手でダイとタッチすることはできない。演技だとわかっていても、この場面は思わず顔を歪めてしまった。

・「僕は絶対に君のために歌は歌わない。僕の歌は祈りだ!だから、僕は殺された人たちのために歌ってるんだ!」

ルトフの里から護衛としてついてきたファンルンが敵国のスパイであることがわかり、人殺しがすきだという彼がフローに「俺と組めよ」と迫る場面。すごいのよ、ここ。手下によって手を拘束され、痛めつけられたフローが放つ一言。自分がどれだけひどい目にあっていても、誰かを傷つけるために歌を歌うことはしない。リューン一族が襲撃されたときのことを思い出して耳をふさいでいたフローはもうそこにはいなくて、祈りは強さに変わった。ことばの吐き方が覚悟に満ち溢れていて、フローがどんな思いでそこにいるのかビリビリ伝わってきたんだよなぁ。

ここで言う「殺された人たち」って、リューン一族のことだけじゃなくて「ダイが殺した人たち」のことも指してるっていう解釈であってるかな?フローの人生はどこまでもダイとともにあるんだって後から気が付いた。

・【番外編】かわいいフロー

苦しいシーンが多いものの、合間合間のフローがとってもかわいい!一角狼座が「風の魔法使い」の劇をやっている最中、もぞもぞ下手にはけようとするもなかなか進まなくてほふく前進するフロー。エルカのエコーミュージックでヘンテコなダンスをしてるのをファンルンに見られて照れてるフロー。

プレビューではなかったんだけど、風の洞窟でエルカの後ろを後ろ向きに這って進む理由が「ス、スカート……」なの、あまりにときめいた…!!! 初日と比べて増えてたアドリブおもしろかったし、一角狼座のショーでも手拍子が起きていたりして、この1ヵ月見ていないところでこの舞台は成長してきたんだなぁと胸が熱くなったり。舞台は生ものですね、同じ舞台っていうのは2つとない。

 

大橋和也とリューン・ダイ

顔が最高にかわいいんですが、実物を見るとめちゃくちゃ男の子だった… 大きい… 二の腕が出ている衣装ありがとう… そしてなにより、歌が上手い!

声が出るとか音をちゃんと当てられるだけでなく、耳に残る歌を歌う大橋くん。わたしで言うざらざらした声。大橋くんの歌をもっと広い場所で、もっとたくさん聴きたいなぁと思いました。

初観劇時、冒頭〜かまど亭あたりの明るいダイを見て大橋くんみたいだなぁって思ったけど、後半との対比が凄まじかった。これは意図的にやってたみたいですね。恐ろしい。黒い獣に取り憑かれたり、ダイの心が戻ってきたり、あの切替えも気持ち的になかなかしんどそうなのに、全部終わって挨拶するときに笑顔全開のいつも見ていた大橋くんだったので…… すごい人だなと……。安心感と畏怖で感情がぐちゃぐちゃでした。

★印象的なシーン

黒い獣に憑かれたダイ

この舞台を通して、1番印象的でした。憎悪の化身である黒い獣と対峙すると、ダイの中の暗い感情が滅びの剣に呼応してしまい、闇に取り込まれ、シンクロしていく。表情、声色が狂気的で荒々しくて、あの瞬間大橋くんはそこにいなかった。重心低めな動き方とで首のイかれた(褒めてる)動き、そのあまりにも人間ざるものの存在感に圧倒された……。

オビオテ族に対して発する「俺を憎め! 世界を憎め!」は心底こわかったし、ダイと黒い獣が交互に現れる場面、笑いながら人を殺すダイが我に返って「違う!」「こっちに来ないで!」と叫ぶ声の響きは悲しくてせつなかったなぁ。表現力の幅がすごい。

ダナトリアを殺す場面

フローとダイが対峙するラスト、斬られそうになるフローを庇ってダナトリアはしにます。あの瞬間の快楽に満ちた表情が忘れられない。ダナトリアに初めて会ったときあれだけ怨んでたのに、実際に斬ったあとはなんの感情もないように見えるんだよね。ただ目の前の人を殺したというだけで、「ダナトリアを殺した」ということをダイの心は理解していなかったと思う。黒い獣が100%の状態下では、心がないのかもしれないね。

ファンルンの短剣を舞台袖(下手)に投げ捨てるダイ

同上の場面、ファンルンに刺された後、その剣を抜いて舞台袖(下手)に投げ捨てる。地味なポイントなんだけど! よかったです! 痛みを1mmも感じていないような無表情で、人間じゃないみたいだった。

 

消化不良な考察

ダナトリアがフローを庇い、声を戻した理由

不思議なんですよね〜〜〜、これが。「一番恐ろしいのは自分の行動を理解していない蜂だ」「左腕を差し出したときからお前のような奴が一番恐ろしいと思っていた」ダナトリアの言う"蜂"はフローのことだと思うんだけど。ダナトリアはたたらの島で試し斬りをしたときからフローのことを「恐ろしい」と思っていたわけで、いつその心がフローに傾いたんだろう? 敵わないと思ったのか、それともフローのまっすぐな心になにかを動かされたのか。いろいろな人の考察を見ていたら余計にわからなくなった(笑)

リューン一族が襲撃された理由

そもそもの元凶である新月戦争が起きたきっかけがわからない。一つ思いつくのは、ダナトリア(カダ王国)は滅びの剣を鎮めるリューンの"声"の存在を知っていたのかもしれないということ。自国が最強であるために邪魔なものは消すために、リューンの血を絶やそうとしたのかな〜なんて。

ダイは弔いの旅から帰ってくるのか? 

滅びの剣のせいだとしても、家族や里の仲間を殺したダイを許せるんだろうか。アリーシャが子供を産んだことで、ルトフの里にはまた"調和の3"が戻ってきたことになる。個人的にはダイの居場所はもしかしたらないのかもしれないと思っていて、すごく胸が苦しい。

・"調和の3"とはなんだったのか?

個人的には先述の「救うもの」「救われるもの」の"2"が印象的でした。だから本当に"3"が"調和の3"だったのかを疑ってる。そもそも滅びの剣はフロー、ダイ、エルカの"3"人が呪文を唱えたことで復活を果たした。それは調和どころかむしろ世界の不調和を生んでいる。ダイス先生が長い時間をかけてルトフの里に"調和の3"という概念を刷り込んできたのだとしたら? なんだかこの滅びの剣の復活は偶然ではなかったように思えてしまう。

 

演出

物語や演技や歌もさることながら、舞台の使い方が興味深かったーーー! 暗転させないで場面転換させる工夫とか、映像を映して背景を変えたり、見せ方をそれらしくするとか!そういえば昨年観劇した『薔薇と白鳥』も盆をクルクル回すっていうおもしろい使い方してたなぁ。

たたらの島の虹

たたらの島の雨が止み、虹が降りてくる場面。七色の光は舞台を照らすのではなく、舞台上の照明器具から会場に降り注ぐんだよね。2階席から見ると、とっっってもきれいだった。あの世界とこちら側が曖昧になった瞬間。

オビオテ族のことば

オビオテ族は、独自のオビオテ語を話すので、その訳が舞台後ろのスクリーンに表示される! すごい!これを見て思い出したのが、オペラ。先日初めてオペラを観に行ったんだけど、もちろん外国語。舞台袖に置いてある縦長の電光掲示板のようなところに字幕が表示されてた。それを見たときに「オビオテ族!!!」って思ったのは、あの会場で100%わたしだけだったと思う。

黒い獣とダイ

黒い獣とダイが対峙している場面、舞台手前にもスクリーンが降りてきていて、向こう側がうっすら見えるようになってた。あの空間は現実ではないというか、心の中の葛藤を描いていたように思う。歌詞や影が手前に映されてるんだけど、

ここに映る大橋くんの横顔がめちゃくちゃ美しい……。

普段から大橋くんの横顔はきれいだと思ってるんだど、影になったときのシンプルな美の暴力がすごい。

 

最後に

パンフレットに載っている舞台で歌われていた歌の歌詞を読むとまた思うところはたくさんあるんだけど、あまりに壮大な想像の旅になるので一度ここで文章は締めることにする。

わたしはすごいものを観てしまった。この舞台を観たときの感情はひとことでは表せない。しばらく「なにを観たのか」と呆然としてしまうほど、壮大でショッキングで心が震える時間だった。テーマ、歌、物語の奥深さ、丈橋というダイとフローのように対照的なシンメが演じるエモーショナルさ、様々な要因が絡み合ってリューンは忘れられない舞台となった。

 

ちなみにわたしがここまで深く考えられたのは初演時から見てきた方々の膨大な考察があったからであり、楽曲を再現している方や譜面に落としている方もいらっしゃるほどこの舞台が愛されていたからである。