宝箱

すきの定義は「心を動かされる」こと

あなたの声をまた聴かせてね

「喉の不調のより、大事をとり当面の間ライブスケジュールをキャンセルさせて頂くことになりました。」

その一文を見ただけで、背筋が凍った。目の前の串カツもレモンサワーも目に入らなくなるくらい、iPhoneの画面に目を奪われた。それは今日、わたしが世界で一番すきなバンドの公式アカウントから発信されたお知らせだった。


そのバンドのボーカルの歌声が、世界で一番すきだ。彼の声は"赦し"の声。悲しみと強さと優しさを兼ね備えた声。5年間の間に何度も何度も救われた声。

メンバーのことばから、きっと一番続けたかったのは本人なんだろうなということが感じられた。だからここまで歌ってきたんだね。だけど、そんな彼のことを彼以上に考えて、周りが決断した結果なんじゃないだろうか、そう思ったら、彼がそんな仲間に囲まれていてよかったなぁと心から思った。わたしが愛する100倍、200倍、それ以上にバンドのメンバーは彼の歌声を愛しているんだ。

「遅いよ」「ライブの本数が多いから心配だった」そういう声ももちろんあった。ただ、きっと今気づけたことが最善なのだ。まだ彼の声は失われていない。あのときも、そのときも、気づくことができないタイミングだった。そういうことってある。後から考えたらどうにでも言えるけど、わたしは今気づけたことが幸いだなぁと思う。全てが終わってからでは、取り返しがつかなかった。その瞬間を想像して、胸が苦しくなる。

過去に一度だけ、ライブ中に彼の声が出にくくなったときがあったのを思い出した。通算何十本もライブに行っていても、あのライブのことはよく覚えている。あの頃は、それでも次の日に遠くまで遠征をしてライブをしていた。それを考えれば、ライブを見送る決断をしたことがどれだけ大きな進歩なのかがわかる。目の前のことに必死になるのではなく、今後も続けていきたいという強い気持ちを感じるのだ。それがまた、ファンとしてはうれしくもあったりする。

実はの実は、今週末ライブに行く予定だった。たのしみにしていた分もちろん残念だ。だけどこうして思いを整理していると、わたしも一過性の悲しみから抜け出し、彼らと彼らの音楽とわたしたちリスナーの未来のためだと思えるようになった。わたしはまた、世界で一番すきな彼の声に"赦し"てほしいのだ。ライブハウスを照らす照明のようにわたしたちに光を落とす彼の声に、また出会いたいのだ。彼の声を合図に、拳を突き上げたいのだ。


なぜこんなに過敏になっているのかといえば、昨日は聡ちゃんの療養が発表されたことにも影響されている。自分が幸せをたくさんもらっている分、与えてくれる彼らにはもっともっと幸せで、健やかであってほしいと常々思っている。また元気になった姿でライブハウスに立ってくれたらうれしいです。そのときは最高のライブになるんでしょう。