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すきの定義は「心を動かされる」こと

デジタルと五感の共生~「オルタネート」読了~

 3年前の冬、「チュベローズで待ってる」の感想を書いた。

このときも衝動でしたね。2020年の新刊「オルタネート」を読み終わり、居ても立ってもいられずPCに向かっています。

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まず一言目に「また最新作が一番おもしろい」、そして「まさに作家としての新章」という感想が。新潮社さんが「新章突入」とデカデカとポスターに刻んだ意味がよくわかる。避けていた恋愛を描写したり、映像を使う、特典をつけるなどの新しいプロモーションを取り入れたことなどわかりやすい部分以上に、表現において変化を感じる作品だったと思う。読後の爽やかさと、湧き上がったまま尾を引く感情が同居する、加藤さんの新しい作品だ。

STORY

高校生限定のマッチングアプリ「オルタネート」が必須のウェブサービスとなった現代。東京にある円明学園高校で、3人の若者の運命が、交錯する。調理部部長で品行方正、しかし、あるトラウマから人付き合いにコンプレックスを抱える蓉。母との軋轢を機に、絶対真実の愛を求め続けるオルタネート信奉者の凪津。高校を中退し、かつてのバンド仲間の存在を求めて大阪から単身上京した尚志。出会いと別れ、葛藤と挫折、そして苦悩の末、やがて訪れる「運命」の日。3人の未来が、人生が、加速する――。
悩み、傷つきながら、〈私たち〉が「世界との距離をつかむまで」を端正かつエモーショナルに描く。3年ぶり、渾身の新作長編。

www.shinchosha.co.jp

※以後、物語の展開、セリフの引用を含むネタバレがあります。

 

重なり合う3つの物語の相互作用

今作は1つの世界の中に3つの視点が存在し、導入部分は蓉、凪津、尚志、それぞれの目から見える景色から始まる。3人は最後まで接点のないまま終わるけど、文化祭という同じ場所で「運命の日」、この物語で見えるクライマックスを迎える。ただし同じ高校を起点に展開されているため、別パートで名前が出てきたり、同じ景色を見ていたりする。

しかし、別々の物語であるのに「これはあっちの話にも通ずることなのでは」というようなセリフ(例えばp.350蓉母の「「間に合うよ!」」という声援、前ページの桂田の「「わからないけど、ま、まだ間に合うかもしれないから」」のアンサーとも取れる)や描写もでてくる。これがおもしろい。内容が異なる3つの物語がバラバラに見えないのは、全体を通して表現したいことが一貫しているからだと思う。 

 

それぞれに感じたこと

ある理由からオルタネートを使うことを避けていた彼女が、前向きな理由からアカウント開設に至るまでに人として変化する話。おもしろいよね、この「起」と「結」が心情の変化を表現しているっていう。自分を傷つけた要因が、今度は世界を広げるための道具になる。

このパートではSNSや配信番組といったもののポジティブな面だけでなく、ネガティブな面も色濃く描かれている。一番想像しやすい現実だと感じた。カップル動画で人気になることが目的になってしまっていて別れたカップルだとか、『ワンポーション』が今流行りのオーディション番組っぽく(パフォーマンスとも取れる厳しいコメントを言う審査員がいる)一般人に知名度があることによる弊害だとか、番組の話題作りのために利用される恋愛だとか。このへんはかなり時代を反映させているよね。

気になる相手の家に招かれてウィークエンドシトロンを作って持っていくのがかなりかわいかった。それは週末に大切な人と食べるためのレモンケーキ。お菓子に思いをこめる女子高校生のいじらしさ、思いつく加藤さんの頭を覗きたい。どの引き出しから持ってきているの!?

凪津

「個人情報そんなに提供して大丈夫か!?」と心配するほどオルタネートを妄信する彼女が、(蓉とは逆に)アプリをやめるまでに自分と向き合う決意をする話。何と言っても、この対比ですよ。蓉にとっては料理仲間を高め合えるツールとなったけど、凪津にとっては深層的に逃げる場所でしかなく、使う人によって形を変えるのSNSをうまく表現していると思った。

「データに裏打ちされたもの以外信用しない」の根っこには、感情的な行動による結果によって彼女が苦しんでいるという理由がある。途中で追加されたオルタネートの新機能である「ジーンマッチ」を使い、遺伝子情報から導かれたマッチング率の高い相手と出会ったものの、全く気が合わなかったことが彼女の固定概念が揺らいでいく。正しいのはデータか、自分の感覚か。結果として誤判定だったわけだけど、本質的に2人は似ていたよね。固定概念に囚われていることに気が付いた彼女が自分の在り方を変えようとデータから離れるわけだけど、このパートわたしにとっては少し複雑。マリーゴールドの伏線回収あたりとか、読み解きが足りない気がする。人の感想を聞きたい。

尚志

このパートはいろいろな要素を含んでいるけど、夢を取り戻す話、かな。

内面的には豊の方が変化したのかもしれない。医学部を目指すことを決め、本気でやってないように見えるバスケ部でも活躍してるのに、空っぽに見えたのは豊だった。夢も居場所もオルタネートもないのに、溢れる情熱があったのは尚志。高校を中退した彼は何も持っていないように見えて、持っている人。事実多方面から「俺は尚志がうらやましかったよ」「なんかよくない?」「きっと坂口くんはあなたがうらやましいんだよ」と語られる。これはなんだかすごくよかったな。SNSでの人気とか、社会的立場とか、そういうのじゃなく人を見てたよね。学生生活の描写はないけど、ぐちゃぐちゃに苦悩して、自分の生み出した幻影に囚われて、青臭くて、このパートも青春だと思った。

蓉と同じでオルタネートを使わずに時間を過ごした人だけど、2人において違うのは「使わない」という状況を選んだか、選んでないか。尚志の場合は高校を中退したことで、そもそも使う権利がなかったわけだから。

オルタネートが絡んでないから、なんなのか、2020年というよりは2000年台前半、まだチャットモンチーがインディーズバンドだった頃を思わせるノスタルジックな雰囲気がある。リアルタイムでその時代に邦ロック畑にいたわけではないので想像なのだけど。尚志が住んでいた『自鳴琴荘』も、オシャレなシェアハウスというよりは常盤荘のような、はちょっと言い過ぎだけど、一昔前の建屋をイメージして読んでた。という名前だしね。

ちなみにわたしが一番映像にしてほしいのはこのパート。映画『鬼火』を見る場面とか、河原でホルンを聴く場面とか。そしてなんといっても文化祭のステージ!尚志と豊のセッション!見たい!読みながら思い出したのは、映画化された坂道のアポロンでした。

 

題材選びの妙

大きなところで言うと「SNSマッチングアプリ」です。今や誰しもピンとくるアイテムだけど、俗っぽく描くのではなく、青春群像劇の真ん中に違和感なく置いていることがまず、すごい。

そしてそれ以外のところで言うと料理、植物、音楽など、デジタルと根本的な部分で相反する(と感じている)テーマ。指先一つでアクセスできる前者と、味や感触、匂い、生の音といった五感で感じたい後者。読み始めて驚いたよ、「あれ?もっとデジタルな話じゃなかったっけ?」と。土いじりから始まるからね。きっとこの小説の魅力というのはそこにもあり、これらの描写が豊かだからであると思う。ご飯がおいしそうなのもそうだし、音楽に関しては音色から演奏者の些細な仕草まで表現に余念がない。

そういえばチャイナシンバルというあまり一般的ではない名称が出てきたのは、なんとなく加藤さんらしい。

 

些細に散らばるメッセージ

物語の大筋とは少しズレたところにも、筆者の価値観が表れている部分がある。伝えることを意図しているわけではないかもしれないと思うほどさりげなく。

例えば、ブラックバイトと評判されていたリゾートバイトに応募したら、実態はそうではなかったという、ネットの口コミの信憑性のなさ。例えば、苗木3つのうち1つだけのために2つを取り除く間引き、「ひとつの植物を守るために不必要な存在を切り取るという選択」をいいと思うことの危うさ。

 

なぜ描ける、心情描写

先述のウィークエンドシトロンしかり、恋をした人にしか見られない景色が沢山あった。歳の離れた異性の視点が、これほどに鮮やかに描けるものなのか。

高校までやってきた三浦栄司と、大学近くのケヤキ下にあるベンチに並んで座ったときの蓉。早足で歩いたせいか心臓がどくどくしているのに、平然としている隣の彼を見て「男の子だなぁ」と思う。こんな些細なことから「男の子だなぁ」と思う気持ちがなぜわかるんだ、加藤さん……。

 

表現の美しさ、まるで詩

加藤さんといえば、わりと小難しい単語を使ったテクニカルな文章の印象が強かった。特に処女作の「ピンクとグレー」なんかを読むと、すらすら読める文章ではなく、わりとクセがある。彼の個性であるという良い意味でもあるし、読む人によってはそうでないかもしれない。

しかし今作はどうだ。驚いたことに、難しい漢字表記や、想像し難い比喩などはシゲアキ比少ないように感じた。それと引き換えに、柔らかいことばを使いながらも、思わず唸るような美しい表現が散見された。肩の力を抜きながら、新しい魅力を身につけていたのだ。まるで加藤シゲアキそのもののよう。わたしが思う「新章」の理由はこのあたり。

陽で赤く染まる三浦くんはまるで燃えているみたいだった。 (中略) 三浦くんが燃えている。燃えているのに、灰にならないで、ずっとそこにいる。 

うまく描こうと思ってこの文章は描けないと思うよ。感性の賜物。

 

例えのおもしろさ

アスベストアスベストという単語が出てくるシーンがある。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/sekimen/topics/tp050729-1.html

取り付けるより、取り除く方が難しいと語った後、「一度始めてしまったらもう元通りにならないことはたくさんある。」と続く。

その例えにアスベストを使うんだ、と。この他にも、一見関係のない話が核に絡んでくることがある。意味のないモチーフは使われていない。かなりそういう傾向があるよね。だからすべての固有名詞が気になっちゃう。茶摘みとかさ。

 

 

章立てされて別れていた3人の視点が、終盤の文化祭でクルクル入れ替わるようにして交わっていく。感じていることも、居場所も違うのに、文化祭という同じプラットフォームで同じように汗を流す。物語が一つの光になるような感覚、それがとても気持ちよかった。