宝箱

すきの定義は「心を動かされる」こと

あなたが安心して輝けない世界なんて

「しばらくジャンプの曲が聴けなかった」

友人はそう言った。それは彼女がすきなアイドルのブログを読んでからのことだった。


わたしはその原因をTwitterで知った。新幹線のホームに溢れかえるおめかしをした女の子たち。彼女たちは携帯を片手にすきなアイドルを探している。響く駅員さんの制止の声。発車しない新幹線。その映像を見ているのがこわくて、つらくて、悲しくて、Twitterを閉じた。自分が普段触れている世界とは違う、異世界のように思えた。

その数日後、友人のすきなアイドルはブログを更新した。彼は去年にも同じようにファンのマナーについて発信していて、これでもう2回目になる。


悔しくてたまらなかった。


どれだけ勇気を出して心の中を見せても、伝わらない人には伝わらない。誰が何を言おうと自分のことしか考えられない人というのはいる。わたしが彼のファンかどうかということは関係なくて、ただただ"彼らを応援してると自称する人たち"に彼らを壊されていくことが悔しかった。

 


そして先日、今度は別のグループのメンバーがブログで"ルールを守らない人達"について言及した。

そもそも禁止されている出待ちや入待ち(ジャニーズファミリークラブ会員規約 第10条 項10〜13あたりに該当すると思われる)の枠組みをさらに飛び越えて、付きまとい行為を行う人がいる。これもまた、自分の想定の範囲を超える異世界の出来事のように思えた。しかし、これは現在進行形で現実に起こっている事実だ。口に出すのも躊躇われるような内容を読み、「怖い」「悔しい」そして「"普通"の人に戻る方が」そんな風に感じていることを知り、溢れる涙を堪えることができなかった。


これはもう「アイドルだからしょうがない」なんていうことばが通用する次元をとうに超えているんじゃないか。「アイドルだからしょうがない」を許していたら、アイドルはアイドルでいたくないくらいの思いをするんだと、その実感は重く自分の心に響いた。


 
そして今日、某報道番組にて彼らのことが取り上げられた。過去にファンのマナーについて言及したときのことも含めた実態とともに、「ジャニーズファンが語る"鉄の掟"」という情報が発信された。

内容について何か言いたいわけではない。ただ、その情報によってまた彼らが傷つくような気がして、悔しかった、そして悲しかった。 そもそもそのルールが正しいか正しくないかは置いておき、ルールを守れば彼らは傷つかないのか? わたしはそうじゃないと思う。改札の前で待つファンを見たら、きっと彼らはブログに書いたような思いをまたすることになる。彼らが傷つかない方法がルールであるべきじゃないのかなぁ。「言われてないからオッケー」みたいなことじゃないんじゃないかなぁ。

また彼らの世界が生きにくくなってしまった気がして、落ち込んだ。一度放られた情報の種は、種を蒔く前の畑には戻らない。畑を掘り起こす力のない自分の無力さ。

わたしはただのファンだけど、ただのファンだからこそステージ上の彼らが安心して輝けない世界なんて、悲しい。


本当は悲しくないフリをして、ただただ「すきだー!!!」と叫んでいたかった。だけどわたしはこうして気持ちの整理をしないことには、彼らへの愛を抱えて進めない。最近のいろいろは、無視するには自分の中で大きくなりすぎてしまった。


友人がすきなアイドルの曲を聴けなくなる理由がすごくわかった。胸が痛い。